山口県長門市に拠点を置く「寿ぎ(ことほぎ)」は、有機栽培の玄米を使った食品を手がけるブランドだ。
このブランドを立ち上げたのは、農業とは異なる分野からこの地へ移り住んだ首藤陽子さんである。
いくつもの選択を重ねてきた首藤さんの歩みの延長線上に、「寿ぎ」はある。

飛び込むことで全てが始まる
首藤さんが最初に歩んだ道は、美容の仕事だった。
「マツエクの仕事をバリバリやってました。ただ薬剤アレルギーで気管支喘息みたいな症状が出てしまって。施術ができなくなったんです」
仕事を続けられなくなったことで、体と向き合う時間が生まれた。
「喘息を改善したくて断食に取り組んだら、体質が変わり症状がなくなりました。さらに、体が一回、空っぽになった感じがして」
そのとき、食べるものについて考えるようになったという。
「じゃあ、その空っぽの体に何を入れようかなって考えたときに、農薬を使っているものじゃなくて、有機とかオーガニックのものを食べたいなと思いました」

ただ、当時の生活圏には有機の食材がほとんどなかった。
「身近になかったので、じゃあ自分でやろうかなって」
農業の経験はなかったが、農業起業家向けのセミナーに申し込んだ。
「農業と全然関係ない業界にいたので、行っていいのかずっと迷ってたんですけど、締切前日に電話して聞いてみたら『全然いいですよ』って言われて」
そのセミナーをきっかけに、地元である愛媛県で有機米づくりに取り組んでいた現在の夫と出会い、一緒に米づくりを始めることになった。
楽しく、生きる
愛媛での有機農業は、順調とは言えなかった。
「オーガニックへの理解が得られなくて、風当たりが強かったです。生産面積を増やしたくても、条件の良い土地が見つからなかった」
お客さまからの注文に応えられない状況が続く中、知人から紹介されたのが山口県長門市だった。
「長門の土地を紹介された時に、大切なのは“どこで作るか”じゃなくて、“ちゃんと米を届けること”だなって思ったんです」
初めて長門を訪れたその日、移住を決めた。

「現地を見て、その場で決めました。迷いや葛藤はなかったです」
この即断の背景には、首藤さん自身の考え方がある。
「15歳くらいまでは、正直、人生をなめていました。でもその頃、死生観について考える時期があって。何か大きな出来事があったわけじゃないんですけど」
考え続けた末に、ひとつの結論に行き着いた。
「どうせ生きるなら、楽しく生きようって思ったんです。それからは、やりたいと思ったことは全部やってきました。高校時代にバンドもやったし、アートもやったし」
だからこそ、決めたら迷わない。
「後悔したくないんですよね」
この原体験が今の首藤さんの思い切りの良い決断力や行動力を生み出しているのだと感じた。

カタチ作られた想い
長門に移住してからは、地域との関係づくりが始まった。
「移住者って、またどこかに移住しちゃうんじゃないかと思われることも多い。でも私たちは違う。だから流しそうめん大会や草刈りなど地域行事には全て参加しました。移住して3年経った時に家や田んぼ、山も買ったんですよ」
こうして築かれた信頼関係の上で立ち上げられた「寿ぎ」。
そこに宿る思想は、自分たちだけが良ければ良いというものではない。
「現在は、私たちが育てているお米(イセヒカリ)のみを焙煎していますが、今後は地元生産者さんの有機玄米も使用していきたいです。私たちと想いを同じくする他の生産者の方々と、一緒に豊かになっていければ良いなと思ってます」
そんな寿ぎのものづくりの根底にあるのは”ていねいな時間”という考え方だ。

「30代は、本当に駆け抜けてきました。だから40代は、少しアクセルを緩めて、深掘りをしたいと思っています」
立ち止まることで、見えるものが変わった。
「今まで見えていなかった周りが見えるようになって、自分の人生にはていねいな時間が足りていなかったなって思いました」
その感覚は、商品にも反映されている。
「玄米焙煎茶は、あえて煮出すタイプにしました。手間はかかりますけど、煮ている間に立ち上がる玄米の甘い香りを感じてほしいんです」
「寿ぎ」の食品は、忙しさの合間に立ち止まるためのものだ。
「忙しい日常の中で、少しだけていねいな時間を過ごしてもらえたら嬉しいですね」
自ら選び、決め続けてきた首藤陽子さんの歩みが、そのまま「寿ぎ」というブランドの輪郭になっているのだと思う。